希望の教会


週報エッセィ「シオンへの道」バックナンバー

2006年9月分
 

2006年9月3日付 「聖餐の恵み」

「ですから、あなたがたは、このパンを食べ、この杯を飲むたびに、主が来られるまで、主の死を告げ知らせるのです。」(Tコリント11:26)

 聖餐は十字架の契約の恵みを覚える恵みの手段です。聖餐で主イエスの十字架での裂かれた御体と流された血を覚え、その打ち傷による癒し、平安、その血による罪の許し、そしてその結果としての祝福、永遠の命、神の子の身分、聖霊充満、そして勝利の契約を思い起こし更に確信していきます。十字架の契約を更にはっきり覚えていき、この契約により信仰により生きていきます。ですから、この聖餐に預かることができる人は、主イエスを個人的に信じている方です。天国の世継ぎとされている方です。誰でも悔い改めて主イエスを救い主、人生の主として信じているなら、聖餐はその方のものです。聖餐は十字架の契約の中を私たち信じるものが生き続けるための恵みの手段です。ひとりひとり自分を吟味し、感謝して主イエスの信仰を告白してこの恵みの手段の聖餐を受け取っていきましょう。


2006年9月10日付 「傷だらけのイエス様による癒し」

「彼(イエス様)の打ち傷によって、私たちはいやされた。」(イザヤ53:5)

 十字架のイエス様は傷だらけです。それは私たちの身代わりであり、イエス様の打ち傷で私たちがいやされるためです。
 首から下が動かないお二人のクリスチャン詩人である水野源三さん、星野富弘さんの詩を見てみると(このホーム・ページでお二人の詩を載せるのは著作権に触れるので省略します)、お二人とも主イエス様の十字架の傷で心いやされ、感謝と愛が主から彼らのうちに流れているのが解ります。
 イエス様は傷だらけ。それは、私たちの心や体や全てをいやし回復するためです。今週も十字架の主を見続けていきましょう。

2006年9月17日付 「主への信仰により道は必ず開かれる」

「しかし、正しい人はその信仰によって生きる。」(ハバクク2:4)

 信仰の祈りは聞かれます。預言者ハバククも助けを求め祈りの答えを待ちました。その結果、正しい人はその信仰で生きることを主から教えられました。どんな窮した状態でも、信じて祈り待つことです。ハバククは最後にこの様に締めくくっています。
「羊は囲いから絶え、牛は牛舎にいなくなる。しかし、私は主にあって喜び勇み、私の救いの神にあって喜ぼう。私の主、神は、私の力。私の足を雌鹿のようにし、私に高い所を歩ませる。」(ハバクク3:17〜19)
 ここに書かれている「しかし」は、偉大な「しかし」です。主を信じていくなら、偉大な「しかし」があります。


2006年9月24日付 「希望の福音で生きる」

「十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。」(Tコリント1:18)

 十字架の福音は救いを与える神の力である。十字架の契約があるから私達は確固として立つことができる。揺れ動かない人生は十字架の契約の福音を受け取っているからである。十字架信仰により私達は罪赦され義とされている。神の子の身分が与えられている。呪いは十字架で贖われ打ち破られ、アブラハムの祝福が信じる私たちのものとなっている。十字架により私達は悪魔の支配から解放され、聖霊様が私たちの内に住まれ神様に導かれている。主イエスが十字架を通してその打ち傷により私たちの病、痛み、そして悲しみを全て担って下さったので、私達は癒しと平安の恵みの中にある。十字架の言葉で私達は希望があるから大丈夫である。


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