希望の教会


週報エッセィ「シオンへの道」バックナンバー

2007年7月分 

2007年7月1日付 「神は愛なり」

「愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。」(Tヨハネ4:8)

 神は愛です。神様は私たち一人一人を愛しておられます。神の愛の表現はイエス様の十字架の死です。十字架の福音は身代わりであり購いです。愛は犠牲で解ります。イエス様の犠牲です。十字架で主は私たちの全ての罪の刑罰、呪い、病、痛み、悲しみ、わずらい、死を身代わりに引き受け、私たち信じる者たちに義、祝福、癒し、解放、平安、永遠の命、聖霊の臨在と喜びを与えられました。


2007年7月8日付 「十字架は全ての問題の最終処理場」

「十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。」(Tコリント1:18)

 私たちにはいつも主イエスの十字架が必要です。主の十字架こそ全ての問題の最終処理場です。毎日大なり小なり降りかかる問題を絶えず主の十字架の購いの上に投げ出していきます。問題を自分で背負わないで、全てのマイナスを身代わりに背負って下さった主イエスの十字架の上に投げ出し、十字架の契約から恵みを受け取り、義、癒し、平安、祝福、聖霊充満、勝利、永遠の命、そして解放の恵みの土台で歩みます。


2007年7月15日付 「恵みの舟に乗っていれば安全」

「またキリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たち」(ローマ5:2)

 クリスチャンが立っているのは主イエスの恵みの上。いつまでも堅固な主の恵みの上。この恵みの舟の中に信仰で入っているなら、主が恵みをもって運んで下さる。外が嵐の艱難であろうとも私たちの土台である主の十字架の恵みの舟の中で艱難さえも喜んでいられます。なぜなら、恵みの舟の中で主が私たちを守り希望に導かれるからです。この希望は失望に終わることがありません。


2007年7月22日付 「祈って求めるものは受けたと信じるならその通りなる」

「祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。」(マルコ11:24)

 何年も前から東京の新会堂といやしセンターが与えられるように祈ってきましたが、神様は不思議な形で新会堂を与えてくださり移ることができる様にしてくださいました。
 具体的に祈ることは力があります。祈っていると神様が人間では想像できない様な不思議な形で成就させても下さいます。普通に祈っていても与えて下さる神様は、祈って求めたものは受けたと信じるなら尚のことその通りになります。


2007年7月29日付 「恐れの霊を追い出そう」

「神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。」(Uテモテ1:7)

 日々、恐れの霊を追い出して、力、愛、そして慎みの聖霊に満たされましょう。
 第一に、思いに恐れの要塞を置こうとする悪霊を、主イエスの御名で祈り、追い出しましょう。
 第二に、主イエスを信じ見続けましょう。ペテロは、主イエスと御言葉を信じ続けたら湖の上を歩けましたが、嵐を見て沈んでしまいました。主は「信仰の薄い人だなぁ」(マタイ14:31)と言いペテロを助け上げました。信仰が恐れを締め出します。
 第三に、御言葉です。医師や人が「あなたの病気は重い」と言ってそれを思い悩むと、恐れが増し寿命を短くする呪いの言葉となってしまいます。人の言葉や五感ではなく、神の御言葉をいつも受け取り、神の御言葉を告白し続けるのです。「彼(主イエス)の打ち傷によって癒されている」(イザヤ53:3)と告白するのです。
 第四に、完全な愛は恐れを締め出します。
「愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。」(Tヨハネ4:18)
全き愛は主イエスの十字架に見られる神の愛です。祈りを通して十字架を通し聖霊によって全き愛が私たちを包み、全ての恐れを締め出します。この愛に満たされましょう。


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